2009年4月30〜5月3日

Malaga(マラガ) / Nerja(ネルハ) / Granada(グラナダ) [スペイン]

Z-bruecken => Frankfurt(泊) => Malaga(泊) => Nerja(泊) => Granada(泊) => Malaga => Frankfurt => Z-bruecken

欧州生活も残り約2週間、最後の連休は、ずっと行ってみたかったスペインのアンダルシア地方で締めくくりました。

30日:マラガ

飛行機はそんなに早朝ではなかったが、前回のフランクフルト前泊があまりに快適だったので今回も。ところが今回とったホテルは、値段相応に安宿の雰囲気一杯だった。トイレ、シャワーは共同。フロントらしきものはなく小さな事務所のようなところでチェックイン。アラブ系の二人のおじさんが切り盛りしていた。アヤシイ雰囲気。とは言え、前泊のおかげで7時までゆっくり寝て、空港へ。マドリッド乗換えでマラガに入ったので到着は15:00。予約していたレンタカーを受け取って、ホテルへ。実は赴任当時のミラノ旅行以来のナビなしの地図による旅行だったのだが、この3年でハッチの地図読解能力が飛躍的に向上していたので、迷うことなくホテルに到着。今回は予算の都合上ホテルではなく、オスタルという比較的経済的な宿に泊まった。外見はイマイチだったが、フロントの人は親切だし、部屋も小奇麗で、立地も最高。スペインは他の欧州の国に比べて宿代が安めなのが魅力的。同じ値段で格段に綺麗なホテルに泊まれる。

到着後すぐに、バーでタパスをつまんで、マラガ観光へ。とは言えマラガには見所はほとんどなく、お城の遺跡へ。実は、その時行ったのはお城ではなく、隣の城塞だったのだがしばらく気付かず。城だと思い込んで観光。ヨーロッパの建築とは少し違う、イスラムっぽい造りに新鮮さを覚えながら、整備された庭園とそこから見える景色を楽しんだ。歩き疲れて城に併設されているはずのカフェでお茶をしようと行こうとすると、隣の山の上にパラソルが立ち並びまったり休憩している人々がみえた。そこでようやく目的の城に来ていなかったことが判明。どうするか悩んだが、結局そのカフェまで歩いて登ることに。休憩しようとしていたところからさらに、一時間ほどの行程に疲れきってしまったが、カフェに座って地中海と闘技場を見下ろしていると疲れも吹っ飛んだ。でも帰りはさすがにバスを使ったが。

腹ごしらえしたBar

海鮮サラダ

魚、たこ、イカの唐揚げ

城塞の遺跡

城塞の遺跡にあるイスラム風庭園

闘技場とビルと青い海と空

1日:青い海、白い村

起床後、すぐに次の目的地ネルハへ。高速道路はあえて利用せず海岸線沿いの下道にした。とにかく青い地中海を横目に朝のドライブ。気持ちいい!!途中、海の見えるカフェがあったので朝食。何を食べようか迷ったが、隣の人が美味しそうなチュロスを食べていたので、それを注文。意外なことに砂糖のかかっていないプレーンなものだった。よくよくガイドブックを読んでみるとチュロスとかのお菓子で軽く朝食をとるのがスペイン風らしい。海風を受けながらオープンカフェでスペイン風朝食。すごい贅沢。

海沿いのカフェで朝食

出来たてのチュロスは、最高!

ネルハに到着後、本日のホテル、パラドールネルハの場所だけ確認して、近くにある白い村Frigiliana(フリヒリアナ)へ。青い空、白い壁、生い茂る緑、眼下に見える地中海、日焼けした村の人たち。イメージした通りのアンダルシアがそこにはあった。町の中は、階段や細い路地が入り組んでおり迷路のよう。観光地化されているのは表通りの一部だけで、路地裏では日向ぼっこしているおばあさんや談笑している人たちがいてローカルな雰囲気。特に観光スポットがあるわけではないが、村の中をブラブラ散歩するだけで、絵葉書の写真の中にいるような気持ちにさせてくれる素敵すぎる村だった。

海の見えるBarでタパスをつまむ。観光名所を巡る旅行ではなく、海を見ながらボーっとする旅行にしようと思っていたが、否応なくそういう旅行になる土地だ。海を見ながらBarでビールを飲んでボーっと過ごすことが一番贅沢な気にさせる土地、アンダルシア。太陽は暖かく、風は気持ちよく、時間はのんびり流れ、海と空はどこまでも青い。

ズーッと店先で寝ていた

フリヒリアナのメインストリート

階段に女性が2人、スペインらしい風景

入り組んだ路地

奥には地中海が見える

フリヒリアナの街並み

ほんとに白い町です

かわいい飾り付けがたくさん

昼過ぎにホテルに帰った後は、ホテル前のビーチをブラブラしたり、部屋の前のテラスでデザートを食べたり、シエスタをとったり。その後、ネルハにある鍾乳洞へ。ネルハは海以外の観光スポットはコレくらいしかないので行ってみただけだったが、なかなか壮大でした。

鍾乳洞の入口

なかなかすごいです

町に帰って、ネルハ散策。広場では結婚式をしていた。夕食まで時間があるので広場近くのバルでちょっとコロッケと魚のフライをつまんでホテルへ。観光客向けのBarの雰囲気満載だったが、魚のフライもコロッケも無茶苦茶美味しかった。しばらく座っていたが、どんどん雲が増えてきて、風が強くなり、人々も退散し始めたので、我々もホテルへ帰った。

夜はホテルで食事。夕方に食べたバルの食事があまりに美味しかったので、U田氏は、またまたコロッケと魚フライを注文。でもバルの方が圧倒的に美味しかった。前回のスペイン旅行に引き続、2回パラドールで食事した印象は、食事は町のレストランかバルで済ませるべきと思う。パラドールのレストランは、味はイマイチで割に合わない値段。

ネルハ@

ネルハA

ネルハの町のバーにて

ネルハの街並み

ホテル

ホテルの下はビーチ

パラドールのコロッケ、ショボイです

小魚のフライなのに、一部の魚はでかい

2日:グラナダ

グラナダへは若干距離があったので高速道路で移動。ネルハ(地中海沿いの町)を出発して30分ほどでシェラネバダ(スペインでは有名なスキーリゾートのある山岳地帯)が見えた。まだ、地中海が見えそうなところで雪山が見えたのにはびっくり。シェラネバダは地中海に向かって滑るような雰囲気のスキー場とは聞いていたが、山の上からは、たぶん、ほんとに地中海が見えるのだろう。地中海=温暖でかつ低降水と思っていたので意外だった。一度はすべりに行って見たいスキー場だ。無理かな〜。

ネルハからグラナダへ続く高速道路は、何度も途切れ下道に下ろされた。ちょうど旅行の1週間ほど前に読んだ雑誌の記事にコスタ・デ・ソルのバブル崩壊の記事が載っていた。(コスタ・デ・ソルとはスペインアンダルシア地方の海岸線沿いの地域のこと。)数年前の好景気とポンド高に影響された英人がこの地域に大挙してやってきて、別荘を建て開発しまくっていたらしい。それに伴って、政府もこの地域のインフラの整備をどんどん進めていたが、世界的な不況とポンドの下落によって英人は開発を止め、別荘を売り払い引き上げていってしまった。後には、開発のために更地にされた土地と空き家になった建物と中途半端で止まってしまった道路が残ったという内容だった。まさにこのことだな〜と実感しながら走る。

グラナダへ移動

途中、朝食を食べたとこ

スペインといえばこれ、トマトが塗ってあります

昼にはホテルに到着して。さっそくグラナダをブラブラ。アラブ街、旧ユダヤ地区、カテドラル周辺をぶらぶらした。グラナダは、レコンキスタという、キリスト教徒がイスラム勢力をイベリア半島から追い出した運動の中で、最後まで残ったイスラムの国。1492年にグラナダを占領してレコンキスタが終了するという、イスラム文化の色濃い土地。建物も街も植物もヨーロッパの他の国とはかなり違った。

カテドラル

お祭りでもあったのだろうか?

アラブ地区

休憩がてら食事をしようと入ったが

今は飲み物だけと言われて、吃驚

近くにあったこの広場で食事しました

スペインでちらほら見た皿を外壁に飾った家

アルハンブラ宮殿とシェラネバダ

肉眼はリフトが見えてました

2日:アルハンブラ宮殿

最終日は、8時にアンハンブラ宮殿へ。行列のできている当日券販売を横目に、予約済みレーンへ。行列をすっ飛ばして先頭に入れてくれた。これぞ予約の醍醐味。すぐにチケットを受け取って入場。アルハンブラ宮殿は、イベリア半島最後のイスラム王朝ナスル朝の宮殿。アーチや柱の形状も、壁のモザイクもイスラムらしさ満載の建築物になっている。ちなみに、アルハンブラとは、アラビア語のアル・ハムラー(赤いものの意)に由来するらしく、周囲の赤土を指したものらしい。嘘かホントかナポレオンが「ピレネーを越えたら、そこはもうアフリカだ。」と言ったらしいが、確かに赤茶けた大地の感じや生えている植物、素焼きのレンガの建物など、ヨーロッパというよりは南アフリカで見た景色を彷彿とさせた。アルハンブラ宮殿をぶらぶら3時間ほど楽しんで帰路につくことにした。

お昼にグラナダを出発して、マラガの空港へ移動。100km以上高速を走ったが、なぜか2回だけアラビア語の道路標識があった。たくさんある標識のうち2箇所だけアラビア語にして意味があるのかはわからないが、スペインらしい標識だ。

こんな景色が広がっていた

グラナダからマラガへの途中に2回だけあったアラビア語の道路標識

マドリッドも立候補してるんですね

inserted by FC2 system